みるきぃはうす

ダビスタ99の攻略や、かつてニコニコ生放送で開いていたBC「みるきぃ杯」の情報があります。レトロゲーム大会の話も多め。

みるきぃ杯を振り返って

もう大会が終わって2ヶ月が経とうとしてますが、今更ながら色々振り返ってみようと思います。

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まず最初にこの大会を何故やろうかという話から始めたいと思います。

私自身レトロゲーム放送をするために生主になったのですが、私がやりたいレトロゲームの中にダビスタはありませんでした。元より競馬自体も興味がほとんどなく、とあるきっかけの前の自分に「後でダビスタの大会50回も開くことになるよ」って言ったら「なんで? 意味わからんわww」って返していたでしょうね。

そのきっかけなのですが、当時良くレトロゲームの大会を開催されている生主さんがおられて、その人の大会に色々参加していました。普段はスポーツゲームだったりシューティングゲームだったりと私好みのものだったのですが、そのお方が新しい大会のネタとして引っ張り出してきたのが「ダービースタリオン99」だったのです。
(確か99が一番完成してるから99を選んだと言っていたと思います)

先述したとおり全く興味のなかった分野だったのですが、パスワードを持ち寄って対戦させるというコンセプトに魅力を感じて挑戦してみました。
最初は当然惨敗も自分なりに勉強して、2回3回と成績を伸ばし、4回大会では9人中3位と健闘。それなりに強い馬が作れるようになって楽しくなってきたのですが、第5回大会はその生主さんの失踪?で結局行われることはありませんでした。

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せっかく楽しさがわかってきたところにそのやり場を失ってしまったので、当時仲良くしていた大会参加者の人と相談し勝手に引き継いでやろうと。
そうして出来上がったのが「みるきぃ杯」だったのです。
大会に参加するのは好きだけど、自分が大会主催とか考えたこともなかったのでどのぐらいできるかさっぱりの完全手探り状態でした。

まず前身の大会の初代配合って部分は引き継ぎ、ついでにリース種牡馬を基本ルールから外すことにしました。これは初心者でもあまり差がつかないようにという配慮からですね。後は日程ですが、前身大会はルール発表から1ヶ月ぐらいの生産期間がありました。しかし、1ヶ月ダビづけは流石にきついと思ったのでそこは自己流にアレンジ。集中してやれるのは3日かなと思いそう設定。
問題はいつの3日にするかでしたが、みんな同じ日付にしてしまうと都合参加できない人も出てくるかと思ったので、そこは馬パスに牧場名が紐付けされているのを利用して各人違う牧場名をランダム生成、送った後3日間にパスを送ってもらうという形にしました。我ながら名案だったと思ってます。その代わり、馬名にコテハンを入れないと誰の馬かさっぱりなので必ず入れないと行けない縛りが出来てしまいましたが……。ただ、これはこれで自分の実況的にもリスナー的にもわかりやすいので良かったんじゃないかな。

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そんな感じで募集を始めたのですが、元々ダビスタ界隈の知り合いがほとんどいないので最初は小規模。特に日付を決めるわけでもなく何人か集まったらやろうかなみたいな適当なスタイルだったようです。私自身、改めてブロマガを見てビックリしています。

ちなみに記念すべき第1回が行われたのは2014年2月14日。この時は私含め6人のこじんまりとしたものでした。大会名もただの「ダービースタリオン99BC」でみるきぃ杯の名前もなく、その名前でやり始めたのは次の大会から。

そこから4回までは多くても9頭だったのですが、転機が訪れたのは第5回大会。この頃ダビスタRTA放送とかによく顔を出して、それとなしに大会宣伝を地味にしていたのですが、その効果が一気に出てなんと参加者が15人に。その中にはここから最後の大会まで連続参加を続けてくれたいけぽんさんや、Takkeさんの名前もありました。
この大会である程度人が集まる事がわかったのか、次の6回大会からはちゃんと開催日を決めて募集し始めています。

ただ、初期の頃は極上の本マグロさんが無双状態でした。先述した前身大会で知り合った人で、今しか知らない人には信じられないかもしれませんが、その頃は普通に私より順位が下とかだったんですよね。ただ何かコツを掴んだのか最初の大会からひたすら勝ち続けていました。さっさと優勝が決まってしまって、終盤2位争いに焦点が行ってしまい優勝者が蚊帳の外になってることもしばしば。これはいかんと私も頑張ったのですが全く歯が立たず……。

そんな流れが変わったのが第10回大会。前身の大会で4回中2回優勝していたれべるあっぷさんの参戦です。流石の実力でいきなり3レース1着になって本マグロさんの連覇が止まるかと思いきや、そこから5レース連勝で大逆転の10連覇達成。本マグロさんはそこから更に2回勝って12連覇まで記録を伸ばします。

その連覇を止めたのはれべるあっぷさんではなく、イカさんという人でした。第11回から参加していたのですがその大会2位だったものの印の上で他馬を圧倒、次の12回も3位で13回でついに優勝だったのですが、この大会を最後に連絡が途絶えてしまいました。継続参加していれば四天王の一角だったのかもしれませんが。

これ以降は本マグロさん不参戦の時期とかもあって優勝者がちらほら変わってますね。15回はれべるあっぷさんが初優勝、その次の16回はDESSAさんが優勝し、17回大会では私も優勝していました。優勝できない主催ってずっと言ってましたが、一応1回はあるんですよね。まあ、いわゆる空き巣状態でしたが……。

そして19回、あの御方が登場します。ネット検索で大会を知ったというそのお方は1.5億レベルの繁殖が使えるルールであるにも関わらず初期牝馬で登録してきました。それだけなら初心者ぽくもあるのですが、騙馬だったり戦績が30戦28勝だったりと明らかに初心者じゃない感じをプンプン。本番でベールを脱いだその実力は本物でなんとみるきぃ杯50回の歴史の中で唯一の初参加初優勝(第1回の本マグロさん除く)を決めてしまったのです。

そのお方の名前はフレイヤさん。続く20,21回も優勝し3連覇。ここから時代は極上の本マグロさん、れべるあっぷさん、フレイヤさんの『三強時代』に突入します。
18回の本マグロさんの優勝から41回にTakkeさんが初優勝するまで、途中によしさんが1回優勝した以外ずっとこの3名が優勝を分け合ってるのだからとんでもないですよね。

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ちょっと脇道にそれます。

初期の頃は人数が集まったら開催って形だったせいか、サイクルも早く3~4週間に1回というペースでやっていました。3日とはいえ本気でやるとかなりしんどいのでだんだん伸びていって最終的には8週間ぐらいになってましたが。
初期のペースでずっと続けてたら今頃80回ぐらいになってたかも。流石にそれだと疲れて途中でやめてたかな?

牧場名の渡すタイミングと締切の話も少ししておきましょう。
牧場名は指定日の前日22:30に渡すルールになっていましたが、これに関してはよく覚えてません。貰った直後から寝るまでに少しでもやる時間を増やせるようにっていう配慮だったのかもしれませんが、優勝狙う参加者たちはこの寝るまでの時間を「0日目」といつのまにか呼ぶようになっていました。
締め切りが24時きっかりになっていないのもうちの大会の特徴だった気がします。これは単純に私が時間ギリギリまで粘るタイプの人間で、完全にラインを引かれると困るので自分がやりやすいようにした結果です。一応午前6時を目処にと書いてましたが、私自身6時を回って画像をTwitterに投げることもしばしば。それ以上粘ってる方もいましたが……。まあ、昼間全く出来ない人もいる中、少しでも時間が多ければという0日目同様の配慮もありましたが、おかげでパス受け取った直後から最終日の明け方まで寝る時間削ってやるのが当たり前の地獄ルールになってしまった感は否めませんね。

参加者16人で締め切りという形は最後まで崩しませんでした。初心者の方が参加して予選数レースで後は蚊帳の外だと次は参加してくれないだろうと思い、ずっとこの形を通しましたが、個人的にはこれで良かったと思います。
正直、常連さんが出れない大会とかもあって心苦しい部分ではありましたけどね。特に最後の大会は他にも出てほしい人が数名いたのですが、いつもの形で最後まで盛り上がったのであれで正解だったのかな?

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本題に戻ります。

中期の私は「第42回までやれたら」というのを目標に頑張っていました。第24回大会の危険配合縛りで本マグロさんが最下位に沈んだことで「超危険配合」というものに興味持ったからです。危険配合の中でも、兄妹や2代連続同じ父等の場合、必ず気性難&虚弱が産まれてしまうのですが、その中で特に目を引いたのが初代配合で唯一の全兄妹配合である「アズグッドアズニュー×アルカング」でした。血統表のすべての項目が赤で表示されるのはインパクト十分でどう考えても地獄ルール。このルールを適用するのなら42(死に)回だなと。

この大会は更に条件が厳しい「ソフトエクレア×プレクラスニー」というものに形を変えて開催されましたが、厳しい縛りだったにもかかわらずフルゲートとなり、予想外の展開に大盛りあがりとなりました。個人的にみるきぃ杯のピークはここだったんじゃないかと思っています。

だが、この大会が終わったことで目標がなくなったのも事実でした。なんとなしに続けてはいたものの、この頃からいつまでこの大会を続けるのかという疑問が頭の中に出てくるようになりました。続けるのかというより、続け「れ」るのかっていう問題のほうが大きかったですが。

それまでトラブルも特になく運営を続けていましたが、いつどういった理由で急に配信できなくなるかもっていうのがありました。参加者さんの中には3日ガッツリやるために有給とって頑張ってる人とかもいたのですが、それだけ頑張ってもらったのに結局開催できないとかになったりしたら申し訳ないなと……。事実、冒頭に書いた前身大会は次回ルールが発表され私自身パスを提出したものの、結局開催されないまま消滅してしまいました。そうならないようにちゃんとした形できれいに終わらせたい。

とはいえ、大会の方は45回からランドさんを筆頭としたいわゆるランド勢が参加して盛り上がっていました。このタイミングでやめるのもどうかなと思い更に回数を増やしていたのですが、そこで耳にしたのが「ダビスタ99年20周年」という話。

正確なダビスタ99の発売日は1999年9月30日。それを聞いたのが48回大会の募集中だったのですがその開催日は5月24日で、この頃は大体2ヶ月間隔でやっていたので順調に行けば50回は9月末辺りに。

50回記念と20周年……終わらせるのはここしかないと思いました。
まあこの辺は過去のブロマガとかにも書いたので周知の話ですかね。

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そうして2019年10月4日に最後の大会が行われみるきぃ杯は終了致しました。
最初の大会が2014年2月14日なので5年半以上やってたことになります。そもそも第1回大会がちゃんとできるのかってところから初めた大会だったのですが、まあよく続けたものですね。

もちろんこういう大会は参加してくれる人がいてくれたからこそのもの。私自身大手コミュ生主でもないのに我儘によく皆様お付き合いしてくれました。
改めて参加してくれた人数を数えてみたのですが、合計でほぼ60名ぐらいのお名前が……。
これには感謝の言葉しかありませんね。

本当に皆様ありがとうございました。

 

 

 

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私がみるきぃ杯関連のことを書くのはこれが最後ではありません。
あとやりたいのは、

・大会であった面白いことやすごかったことを纏める
・過去最強決定戦(33-50回分及び、1-32回の決定戦上位との最終決定戦)
・参加者一覧やその他大会データの公開(戦績とか)
・私の馬パスの公開

こんなものでしょうか? それと以前作ったダビスタ攻略サイトの応用編みたいなのも書いていきたいなと思ってます。箇条書きで書くことは一杯纏めています。

ただ、他の人の大会参加やみるきぃ杯等のために止めていたそれ以外のやりたい事が色々あるので、優先順位は遅れがちになるかも……。もし忘れた頃にアップされたらこんな事もやってたなこの人みたいな感じで思い出しつつ見ていただければ幸いです。